そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。
キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、 主は彼を悩まされた。 彼が自分を、とがの供え物となすとき、 その子孫を見ることができ、 その命をながくすることができる。 かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
彼は侮られて人に捨てられ、 悲しみの人で、病を知っていた。 また顔をおおって忌みきらわれる者のように、 彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
死の綱がわたしを取り巻き、 陰府の苦しみがわたしを捕えた。 わたしは悩みと悲しみにあった。
わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。 何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。 神を待ち望め。 わたしはなおわが助け、 わが神なる主をほめたたえるであろう。
それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に 物を分かち取らせる。 彼は強い者と共に獲物を分かち取る。 これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、 とがある者と共に数えられたからである。 しかも彼は多くの人の罪を負い、 とがある者のためにとりなしをした。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。
わたしはすでに着物を脱いだ、 どうしてまた着られようか。 すでに足を洗った、 どうしてまた、よごせようか。